・翌月にまとめてお支払い可能
・手数料無料(口座振替の場合)
・アプリでご利用金額を確認できて安心
¥2,170 税込
なら 手数料無料の 翌月払いでOK
この商品は送料無料です。
「道程」「智恵子抄」で知られる芸術家・高村光太郎。東京大空襲、花巻空襲で被災し、1945年10月よりの岩手県稗貫郡太田村山口(現・花巻市)に粗末な小屋を建てて移住した。それは戦争中に国威高揚のための詩をつくり、軍事政権のプロパガンダに加担した自責の念に駆られてのことであった。1951年11月、詩人である著者は子どもを連れて山口を訪れる。雑木林を背負ったように建つ山荘を目にした著者は「ああ、ここが光太郎の聖地か」と嘆息する。
高村光太郎との邂逅をつづった21篇の詩が、当時の光太郎の孤独と矜持が浮かび上がらせる。第33回晩翠賞受賞作。
著者 宮静枝
出版年月日 2010年1月3日
仕様 A5判・上製本(ハードカバー)
頁数 85頁(本文)
宮静枝●詩人。1910年5月27日、岩手県江刺市生まれ。1924年頃、石川啄木の短歌にひかれ、詩作を始める。1928年、県立岩谷堂高等女学校を卒業。元大宅壮一夫人だった従姉・和子の社会科学の影響を受ける。1931年、文学を志し上京。3年後に小学校教師・宮綱夫と結婚、三男二女をもうける。1945年5月24日、渋谷方面空襲で家が全焼。以後、盛岡に住み続ける。1987年、岩手県芸術選奨受賞。1991年、江刺市文化懇話会より文学顕彰を受ける。2006年12月25日、永眠。
***********************************************
高村光太郎の孤独と矜持つづった詩(ユニコの杜管理人)
私たちの世代(60代半ば)にとって「高村光太郎」は「智恵子抄」で知られる著名な作家ではありますが、今となっては歴史上の人物のような遠い存在になってしまったような気がしていました。
「智恵子抄」に集約されてしまった高村光太郎が智恵子と死別してからの日々について、私はなにも知りませんでした。高村光太郎の人物像、創作の源などについて考えたこともありません。しかし、そこにこそ本来なら日に当てるべきであり、特に芸術を志す者は知っておかなければならないことだったのです。本書を読んで高村光太郎を歴史年表の人物にしてしまうのは、まだ早すぎると思い直しました。
本書は戦後、岩手の山間で隠遁生活を送っていた高村光太郎との邂逅について詩人の宮静枝が綴ったものです。21篇の詩とあとがきの随想録が当時の高村光太郎の心の深層を掘り起こしたように思えました。
口絵では高村光太郎から著者へ送られた直筆の書簡も掲載され、資料的の高さでも目をひくものになっています。
本書は第33回晩翠賞を受賞。当時の本書の帯には次のようなキャッチコピーが掲げられていました。
[晩翠賞選考委員のことばより]
光太郎の謎をはらんだ人間像のあるがままの姿をまことに自然に照らし出している。作者のことばからも、あいまいで表面的な飾りがぬぐい去られ、堅固でのびやかな詩語に化されている。このようなことばの存在感は、現代においてあらためてつかみ直すべきものであろう。
■資料的にも貴重な証言である詩人との遭遇が鮮明に浮かび文字通り珠玉の一巻である。ユニークな詩集、たっぷりと内包されている時間の中からの清韻に深く感銘。(吉見正信氏)
■「山荘」は各詩篇が互いに響きあい共鳴し、その一つひとつの積み上げ構築されたものが、テーマ、思想、精神で貫一され、読者に迫る一大交響楽として完成されている。詩は技巧や形式よりも読者へ感動するメッセージを贈る作品でなければならない。(八重樫哲氏)
本書の魅力はこの帯のコピーが端的に表しています。そして著名な芸術家の人物像に迫るだけではなく時代背景を考察する付加価値も含めて存在意義は高く、今後も読み継がれていくべきものと考えています。
本書は版元絶版ですが、ご遺族の同意を得て、ご遺族が所有する蔵書を“ユニコの杜推奨図書”として扱わせていただくことになりました。ご遺族のご厚意に心から感謝を申し上げます。
レビュー
(1)
送料・配送方法について
お支払い方法について
¥2,170 税込
送料無料